菖蒲湯祭
菖蒲湯まつりの由来
山代温泉の温泉寺薬王院は、花山法王の勅願所として明覚上人により七堂伽藍が整備され、白山五院の筆頭寺院として、当時加賀・越前の密教の中心道場であり、多くの修験者達が参集していました。
これらの人達が、その年の「厄」にあたる若者の厄払いを行うため菖蒲(尚武)を刈取り、俵に詰めて無病息災の祈願を行い、尚武に繋がる意味から地面に俵をこすり廻し、俵が切れて菖蒲が出ると「お湯」の中へ投げ込み、菖蒲の香気や薬性に浴することで「邪気」を払ったのが始まりといわれています。
菖蒲みこし
菖蒲湯祭りで引き回される荒みこし。「台棒」の上に菖蒲を詰めた俵を6俵、下に2俵を「力綱」で取り付け、約30mの「引綱」をつけます。一番上の俵には、菖蒲と蓬を一束づつつけます。総重量は約350kgで、町の青年達がつくり、製作にはいっさい刃物を使いません。みこしは、赤白の帷子、赤はちまき、白足袋姿の200人くらいの青年たちによって引き回され、俵が擦り切れて菖蒲が路上に散乱します。青年達は菖蒲の出た俵を奪い合い、拍子木を鳴らしながら菖蒲を総湯の湯壷の中に投げ込みます。一番の入浴者は、その年の災厄から逃れられるといわれています。みこしは現在、6月3日に作られますが、以前は6月4日の入湯式当日に作られていました。
毎年:6月4日・5日
山代大田楽
中世に大流行したという謎の芸能「田楽」を日本各地の芸能や音楽を取り込み、野村万之丞氏が現代によみがえらせた「大田楽」。夏の夜空に響き渡る神秘的な笛の音とかがり火を背景に、奇抜な衣装をつけた人々が躍動感あふれるリズムと踊りを繰り広げます。会場周辺には縁日など多彩な催し物もあって、まさに芸能曼荼羅にふさわしい賑わいです。
楽劇 大田楽とは?
中世、京の都を中心に全国各地で一斉を風靡しながら消滅してしまった「田楽」という幻の芸能がありました。その田楽の演劇としてのエネルギーはそのままに、各地の伝統芸能や音楽を盛り込み、さらには西洋の動き、音楽を取り入れてデフォルメし現代に生きる演劇として、野村万之丞が作り上げた創作作品が「楽劇大田楽」です。
色とりどりの花をあしらった大きな笠をまとい、大きな腰鼓や編木をつけて躍る人々、アクロバット、ジャグリング、瓶回し等、リズムに合わせ様々なパフォーマンスが華やかに繰り広げられます。
この作品は、お祭りのように、老若男女の誰しもが参加でき、プロの俳優や演奏家などの芸術家と共に、市民参加の方々とのコラボレーションによって作り上げています。
1993年度文化庁芸術祭賞を受賞。1998年長野パラリンピックをはじめ、この大田楽を中心に構成された様々な催しが展開し、式典のアトラクション、新しいお祭りの創生として、地元芸能の方々や市民参加の方々も一体となり各地で上演されております。2003年には日米修好150周年記念行事として、在米日本大使館より招聘され、ケネディーセンター、スミソニアン博物館等で上演されました。
毎年:8月第一日曜日・月曜日